「ん。何だこれは」
見慣れない氷の矢がグッサリと刺さっているにも関わらず、蚊に刺された程度らしい三つ頭の巨大な犬は、ひとつの首をかしげる。
敵は天井にまで届く相手の大きさで、圧巻のひと言。しかも私の背後にはエサを欲しがる意味不明のもぐららしきモノまでいる。前後に挟まれ、手足が出ない状態での出来事だ。
『私が囮になる。その隙に逃げなさい』
あれ、どこかで聞いたことがある声だな。
『そいつ、ケルベロスは君には手を出せないはずだ。連れの者たちと一緒に、右回りで離れなさい』
聞き終わるとほぼ同時に、風の流れが急激に変わった。カーラ君がまるで嵐を呼ぶように、レイリョクで風を集めているのだ。
彼は私たちのほうを見ると、
「今の声に従って走るんだ。おれが残ってこいつらを止める」
「で、でも」
『春夏冬(あきなし)君なら問題ない。早く脱出するんだ』
「楓嬢、いいから行くわよっ」
「で、でも」
でももカカシもないのっ、とプリム。おぼつかない足元でいつの間にか広がっていた黒い穴の上を走っていく。
「まぁて、こら。逃がさ」
カカカッ、と、また氷の矢が、今度は足元に飛んでくる。方向が定まっておらず、どこから投げているのかがわからない。
だが、今はそんなことを観察している余裕はない。巨大犬に触らないようにしながら、右側から通り抜けようとする。
しかし、最後の最後でしっぽが頭上から落ちてきてしまい、通路が塞がれてしまう。
そしてテールがあらぬ方向へと動いた。何かに操られているみたいに、持ち上がったのである。
「よいっ、しょっ」
プリムと一緒にジュツをとなえていたらしい明日香ちゃん。指からたくさんの糸が出ており、息切れしていた。
「主人(マスター)、ちゃんと捕まってるのよっ」
と早口で言いながら彼女を抱え、その場からダッシュする召使い。私も続き、振り向きざまに毛の束に対して雷撃を放った。
帯電した毛は思うように動かせなくなり、むぅ、という声しか響かない。そして、謎の声の正体は、地学の先生だった。
何故か男物の背広を着ている矢倉先生は、クナイを放つと私たちと合流する。
「せ、先生が能力者だったなんて」
「話は後だ。すぐ西校舎に戻ろう」
この先生はサバサバしていて、話も聞いてくれる人気のある人。いろんな種類の相談も乗ってくれるらしく、とても気さくなのだ。
何とか走りきった私たちは、呼吸を整えながら、矢倉先生にお礼を言う。
「いや、無事で何よりだ」
「貸しは作りたくないのよねえ。アナタ、何者かしら」
と、プリム。恩人に対して、随分な態度である。
しかし、先生も負けてはいなかった。彼女は軽く構えながら、
「君こそ何かな。見たところ猫妖怪と、その子は人間か」
ひどい静電気が発せられている雰囲気になる。明日香ちゃんは怯えてプリムの陰に隠れており、保護者は剣をすぐに呼び出せる状態に。
とはいえ、矢倉先生のほうはそれ以上何もしなかった。それどころか、構えを解いたのである。
「貸しがあるのは私のほうでね。これで返させてもらったよ」
「え。あの、先生。どういうことですか」
先生は、ふっ、と笑いながら、
「春夏冬(あきなし)兄弟には気をつけたまえ。妹のほうもな」
ちょ、どうしてカシスちゃんのことを知ってるのっ。
そう思った矢先、先生は、あの兄妹は恐ろしいぞ、と言い残し、姿をくらました。
私は放心してしまい、動けず沈黙が続く。
「あの人、妖怪ね。伽糸粋(カシス)嬢と同じ、反流(はんる)の使い手のようね」
「反流(はんる)ってそんなに難しいの」
「ん~、方法論は知らないのよねえ」
クゥちゃんに聞いただけだから、とプリム。まさか、矢倉先生が妖怪だったなんて。
「全然わからなかった。そんな気配、まったくなかったし」
「霊子の流れを調節したんじゃないかしら。加阿羅(カーラ)ちゃんに聞いてみましょ」
その本人が帰ってこないんだよね。本当に大丈夫なのかな。連絡を取ろうにもスマホは圏外になってるし。
「お前たち、こんなところで何をしてるんだ」
それはこっちのセリフだ、と思いながら振り返ると、見たことがない生徒が立っている。バッチからして三年のようだけど。
もちろん能力者であることは一目瞭然。だが、敵なのか味方なのか、あるいは中立なのか見極めねばならない。
こちらの考えを知ってか知らずか、男子生徒は眉をひそめる。
「どうして人間と妖怪が一緒にいるんだ」
「別にいいじゃないのよお。何か問題かしら」
「妖怪は人類の敵だ。一緒にいていいわけない」
「そ、そんなこと、ないもんっ」
私が抗議するより早く、明日香ちゃんが声を上げる。目を涙で一杯しながら、
「こっ、怖いのもいるけど、やさしい妖怪もいるもんっ」
「それは限られた、ごくごく少数だ。大半は平気で殺す」
確かに彼の言う通りでもある。何と言っても、今までの生活の中で体験済みだ。
それよりも相手の瞳のほうが気になる。全てが歪んで見えているような、強い憎しみが感じ取れるのだ。
ただプリムは、はあ、とため息をつくだけ。
「そのごくごく少数が私なんだけど、なあ」
耳に入った言葉が気に入らないのか、彼は目を吊り上げ舌打ちをする。しかし、妖怪の前に立つ女の子を視界に入れると、納得せざるを得なかったようだ。
「わかった、いいだろう。その女は処分しない」
「あらあ、うれしいわ。お礼にハグしてあげちゃう」
「結構だ、触らないでくれ」
心底、物の怪のことを毛嫌いしているようね。
ひと通りの話が終わると、彼は私の名前を聞いてきた。
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