危うくドンパチになりかけた同じ高校の男子生徒は、私の名前を聞いてくる。
だが、ハッ、としたように、
「悪い、俺は泉(いずみ)。三年だ」
「藜御(あかざみ)です、二年です」
「やっぱりお前が藜御(あかざみ)か」
何故か納得している泉先輩。初対面なのに、だ。ちなみに、態度が大きいが、背は私より頭半分上ぐらいだ。
「こら、こんなところで何をしているっ」
ついさっき聞いたセリフをもう一度聞くと、バタバタと騒がしい足音を響かせながら、ひとりの男性がやってきた。ジャージ姿をしていることから、おそらく体育教師だろう。
どうして裸足なのは謎だけど。
「この辺りは何故か冥道(みょうどう)が開かれてしまってる、もっと体育館側に逃げなさい」
みょ、みょーどー、って何だろ。
「プリム、ミョードーってなに」
「あの世のことよお。飲まれたら死んじゃうの」
げっ。
「久我(くが)先生、何いってるんですか。何も感じませんけど」
「誰かが外に広がらないように結界を張ったんだろう」
「あの~、センセ。冥道が開いてるところから、どうやってここまで来たのかしら」
「気合いで潜り抜けてきたが」
そ、そーゆー問題なんですか。
回答を耳にした明日香ちゃん以外の顔が、大変なことになった。
「それよりも早く離れなさい。もうそこ」
北校舎との連絡通路から黒い何かが廊下を飲み込みながらやってくる。ただならぬ気配に、全員が構える。
そこには、見上げる巨体に頭が三つの異形な姿が。しかし、望む姿がない。
「こんなところにいたか。今度こそ逃がさんぞ」
「ちょっとあんた、カーラ君はどうしたのよっ」
「カーラ? ああ、あの男のことか。奴なら地の底に落としてやった。随分抵抗したがな」
ケケケ、と頭のひとつが舌を出しながら笑う。地の底、というのは、まさか。
有無を言わず右手の甲に爪を出現させ左手にはジュツをためながら殴りかかる。もはや何かを考える余裕などなかった。
「楓嬢、ダメよっ」
「馬鹿めが、奴の後を追うがいい」
よくも、よくもカーラ君を。許さない、絶対に許さないっ。
犬の口からレイリョクを感じ一度止まる。吐き出された人ひとりを覆う三つの弾丸は、精製された透明な壁により阻まれ、塵と化した。
「なっ」
煙がやんでいく間、私の脳裏に幼馴染みの顔が浮かぶ。何を考えているのか読めないいつもの笑顔、よく次男に見せる呆れ顔、妹にする困り顔、静かに怒るときの表情、いつも私とユキを見守ってくれる優しいまなざしと表情。
白い邪魔者が完全になくなると、憎たらしい姿がありありと視界一杯にはいる。下の部分がにじんで見えるが、構っていられなかった。
後ろから声が聞こえるが、何を言っているのかがわからない。理解できたのは、隣に誰かが並んだことだった。
「加勢する」
両手にインドで使われるような手持ちの大型ナイフを握り走る泉先輩。彼から繰り出された斬撃は相手の前足を深々と切り裂いた。
「ぎゃあああぁっ」
上体を起こした巨大犬のせいで天井がくずれ曇った空が顔を出す。地響きと共に降って来るがれきだが、以前、槍と鞭の二人組のときのようにスローモーションに見えた。
人の姿をした者たちには怪我がなかったようで、廊下に建物の残骸が空しく散乱する。人外にも影響はないらしく、ただの障害物と化した。
巨大犬と数秒間にらみ合うと、背後に強烈な光が生じる。光は幾重もの白い線となり敵に突き刺さるが、まったく効果がない。
「楓嬢、逃げるわよっ」
普段は飄々としているプリムが私の腕を引き、体育館側へと走っていく。他のメンバーも続き、敵との距離をあけた。
「いーぃ。あいつはケルベロス、地獄の門番って言われてる化け物なのよ」
私たちじゃあ敵いっこないからっ、と珍しく饒舌になる彼女。戦えるのは妖怪三兄妹だけだ、と口にした。
「でも、カーラ君が」
「あの人が殺られるわけないじゃない。きっと何か悪巧みしてるのよ」
いろんな意味でありえないわ、とプリム。どうやら、私の知らない何かを知っているようだ。
「よくわからないけど、無事なんだね」
「間違いないわね。後でたっぷり苛めてやるわ」
この人、カーラ君より性質(たち)が悪いんじゃ。
緊迫した状態の中、そう思いながら走る。ケルベロスとかいう巨大犬は、しつこくも追ってきていた。
「な、何が、ねらいなの」
「拠り代だろ。つまり藜御(あかざみ)だ」
やっぱり私か。
「藜御(あかざみ)、妙なことを考えるんじゃない。広い場所に出れば何とか戦える」
「あんな馬鹿でかい敵とですか」
「俺と泉なら何とかなる。追い返すだけでいいんだ」
明日香ちゃんの問いに答えた泉先輩は、久我先生と仲がよいらしい。私は担当の先生じゃないので、名前までは知らなかったが。
それにしても生徒はおろか、先生まで能力者がいるなんて。どうなってんのよ、この学校は。
「理由はどうあれ、生徒を危険な目に遭わせられん。藜御(あかざみ)、お前は女性たちを連れて逃げなさい」
「そんなっ。私が狙われてるのに」
「だからこそだ。お前が捕まったら終わりなんだ」
ど、どういうこと。
「先生、来ましたよ」
妙に落ち着いている泉先輩は、両手に獲物を構えながら何かをとなえる。
そして、私は彼の隣に並んだ。
「お前、話を聞いてなかったのか」
「私のせいで学校がこんなことになったんですよ。手伝います」
「楓嬢、ダメって言ってるでしょっ」
「プリムと明日香ちゃんは保健室に逃げて。二人なら逃げ切れると思うから」
そう言って、私は戦闘体勢に入った。
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