瞳の先にあるもの 第1話

 夏に降り注ぐ大雨の中、ライティア家に事件が起こった。当主のコスティ・ライティアが戦死したのである。
 ライティア家とは、公爵の位にある由緒正しい家柄で、過去には小国を任される程の手柄を立てたが、欲のない当時の領主は希望した土地だけを貰い自然と共に暮らすという、随分な変わり者であったらしい。
 そのためか、私利私欲や落ちぶれた騎士や貴族と違い、クリーンなイメージを世間でも持たれているのだ。
 事実、その土地に暮らす人々には笑顔があふれ、滅多に事件も起こらない。喧嘩はあれど戦とは無縁の場所なのである。
 しかし、騎士である以上、戦乱の世では国のために命をかける必要がある。亡くなったコスティは王などの覚えもめでたく、二十四歳という若さで将軍の片腕を務めていた。
 また、ライティア領は主に食料供給源でもあり、今の時代なおのこと重宝されている。
 それでも今まで攻め込まれなかったのは、高山と湖に囲まれた自然の要塞があったため。しかも片田舎のため、敵が落とそうにも距離がありすぎるのである。
 遠征の悲報が届いたのは一週間程前に遡る。母アイリに手紙が届き、数日後には棺桶に入った遺体が騎士団員によって運ばれてきた。
 そう、あまりの手際のよさだった。
 だが、裏で張り巡らされただろう思考など肉親にはどうでもよく、愛する家族に二度と会えない現実だけで闇の淵に落とされる。
 とくに十歳下の妹、アマンダには到底受け入れられるものではなかった。幼い頃から兄の後ろを追いかけて育った彼女は、父親のような存在でもあったからかもしれない。
 彼女の悲しみを助長するかのような雨は、アマンダの周囲だけ降り注ぐことを止める。
 少女にかかった影は、
 「アマンダ、風邪を引いてしまうわ。部屋に戻りなさい」
 数秒間、雨足だけが響く。
 「悲しいのはわかるわ。ここにいてもコスティは喜ばないわよ」
 天からの水は、激しさを増すばかり。
 アイリの後ろから足音が聞こえてきた。振り返ると、体格がよく小綺麗な姿した男性が立っている。
 「アイリ様。私がお連れしましょう」
 「お願いね、アードルフ」
 娘の背中を預かったアードルフは、少女を抱え、早々に館へと向かう。
 しかしアイリは、違和感を覚えた。
 部屋に戻ったアマンダは、侍女のエレノオーラに着替えと拭きものを渡され、とりあえずは部屋にいる。
 彼女の生気の抜けた顔を覗き込み、何かあったら呼んでね、とだけ伝える。
 部屋の外には、アイリとアードルフが待っていた。
 「どう、様子は」
 「何も反応しないわ。言葉が出ないみたい」
 そう、と肩を落とす母親。
 「食事も食べないし、このままでは体が」
 「その心配はないだろう」
 ふたりの視線を集めるアードルフ。彼はカーテンに身を隠し、外を伺っていた。アマンダの部屋とは反対側で、遠くの空に晴れ間が見えている。
 「アードルフ、どういう意味なの」
 「あなたが持って来た食事は召し上がらないかもしれないが、私のは召し上がっている」
 「なっ」
 「あの子ったら」
 頭を抱えるアイリ。どうやら、娘にばれてしまっていたようだ。
 アードルフは主人である彼女に頭を下げ、
 「申し訳ございません。奥様の気持ちはご理解出来ますが、お嬢様のお心も」
 「良いのです。気を使わせてしまいましたね」
 ため息をついた奥方は、エレノオーラと一緒に彼に背中を見せる。
 「後で私が直接話すわ。あなたは見ていて頂戴」
 アイリはそれだけ言うと、その場から立ち去った。
 通路に独りきりになったアードルフは、ドアをノックする。ノブが勝手に回り壁との間に隙間ができる。
 失礼します、と断りを入れ、彼は中に入った。部屋の主は、ソファーでお茶を入れていた。
 「紅茶でよかったかしら」
 「お構いなく」
 「そう」
 勝手知ったる仲のためか、アマンダは気にせず口にする。
 カチャリ、となったティーカップの中身は、沈黙を破ろうと必死に動いていた。
 「準備はできていますか」
 「アマンダ様、どうかお考え直しください」
 「必要ないわ。お兄様をうばったあの国がにくい、かならずかたきを」
 「その先には何もないのです。コスティ様をお想いになるのならこちらで」
 「あなたはくやしくないの、命の恩人が戦争に巻きこまれて死んだのよっ」
 墓の前で悲しく座りこんでいたとは思えない表情だが、アードルフは顔も身体も動かない。
 「知ってるでしょう。わたしはお兄様のお役にたちたくて、あなたに剣術をならった。それなのに」
 「私は憎しみで振るう剣などお教えしておりません」
 逆に引いてしまったアマンダに、彼はひざまずく。
 「あなた様の剣は、愛する者を守る為の剣。ですから、この私にお命じください」
 憎き仇を討って来い、と。
 言葉を聞き終えたアマンダは、瞬きをすることが出来なかった。冷静沈着で無口で大人の彼が、彼女に初めて面と向かって見せた怒りだったからだ。
 「それは良い考えです。アマンダ、あなたもそれで良いですね」
 扉の近くに、いつの間にかアイリが佇んでいた。
 「お母様っ」
 新しい靴の音が、少女に近づきながら、
 「アマンダ、あなたは女なのよ。いくら剣の腕が上がろうと、力では男性には勝てないのです」
 「関係ありませんわ、第一、どうして女が戦にでてはいけないと決めたのですっ」
 「向き不向きがあるのですよ。あなたはまだ幼いからわからないだけ」
 「誰が、誰が決めたのですかっ」
 「神様です。女は家を守るように創られたのですから、この土地や住まう者たちを守らねばなりません」
 「そんなことはお母様がすればいいではありませんか」
 「そんなこと、ですって」
 アイリは聞き分けのない娘をひっぱたく。
 「この土地は代々ライティア家に伝わる大切な場所なのですよ。あなたは次期当主としての自覚がなさ過ぎます。あなたの私情とここに住まう者たちの命、どちらが大切なのですっ」
 頬を押さえ、涙目で母を睨むアマンダ。少し冷めてきた頭で、意味だけは理解したのだろう。
 やり場のない感情は、勢いよく部屋を飛び出してしまった。
 「アマンダ様っ」
 「お待ちなさい」
 ため息のあとに、家臣を呼び止めるアイリ。
 「貴方に確認してきて欲しいことがあります」
 アードルフは戸惑ってしまう。優先順位が違うのでは、と思ったのだ。
 「確か一番はずれの納屋に馬がいたと思うのですが、見て来るように。ああ、報告は結構です」
 疲れた顔で言い終えた領主は、娘の部屋からゆっくり退出しようする。
 「奥様、ありがとうございます。このアードルフ、必ずやご恩に報いてみせます」
 「何のことです。早くお行なさい」
 膝を折り頭を下げた紳士は、急ぎ少女の後を追う。その顔は、珍しくほころんでいた。

 「神がそのように創った?

 どの口が言うのかしらね」
 独り取り残された母親は、部屋を見渡すと、静かに扉を閉める。誰にも気づかれない小さな湿気は、すぐ廊下に溶けてしまった。
 一方、アマンダが走って行った先は、見張りの場所だった。塔というには少し低いが、周囲を把握ことが容易なので、侵入者を発見しやすい。
 とはいえ、モノは使いよう。男の子並みの行動力を持つ彼女は、よくここから館を抜け出しているのである。
 この辺りは平和が続いているためか、見張りの者に緊張感がない。正面から行かなければ、見つかることもあまりないのだ。
 「困ったわ、今はちょうど交代したばかりよね」
 どうやら勢いに任せてしまったために、時間まで気が回らなかったらしい。アマンダは仕方がなく、念のために様子だけ見て、待とうと決める。
 しかし何故か、当番はその場から動かない。眉の形を変えた脱走者は、こっそりと本人に近づく。
 不思議なことに、立ったまま眠っているではないか。
 「あ、あら。どうしたのかしら。疲れているのかしらね」
 普段とは違う様子に呆気に取られたが、気を戻して急ぎ塔から飛び降り、隠してあった荷物の目印を見つけ、さっそうと木々の中へ姿を隠す。
 その背中は、目深いフードをかぶった者に、死角から見つめられていた。
 裏口から脱出したアマンダは、正規の道を外れ、森の中を歩いていく。幼い頃から歩き慣れているため迷うことはないし、身分を隠す着替えもすぐに終わった。
 歩いて数時間がたった頃、丘が見え始める。ここからだと高低差もあり館の一部が小さく見えるのみだった。
 いつの間にか小雨になっていた天気は、向かう方角の雲が、真っ白に輝いていた。
 アマンダは自宅を目に入れると、少しの罪悪感どす黒い感情が入り混じった気分になる。
 「お待ちしておりました」
 声に驚き振り返ると、馬二頭と旅支度が整えたアードルフが立っているではないか。
 ずっと待っていたのか、羽織ったマントがびしょ濡れである。
 「アードルフ、どうしてここに」
 「お嬢様おひとりで旅など危険すぎます。私は元傭兵、足を引っ張ることは致しません」
 「うれしいけど。貴方が叱られてしまうわ」
 「その時はその時です。コスティ様の代わりに貴女様をお守りすることが、悪いことだとは思えません」
 大柄な男性の目は、とても優しいものだった。
 「わかりました。アードルフ、これからよろしくお願いします」
 と、アマンダは頭を軽くさ下げる。ライティア家は貴族の中でも変わっており、自分の力になる者には、身分に関わらず必ず挨拶をするという風習がある。
 「近くの町へ向かいましょう。冷えた体では風邪を召されます」
 「ええ」
 アマンダはアードルフの手を借り、馬に乗った。手綱を慣れた手つきで操り、一本道の先に鼻を向ける。
 家臣が乗っている最中、領主の娘は、顔だけ館のほうへに動かし、
 「お母様、ごめんなさい。アマンダは必ずお兄様のかたきをうって戻ります」
 お待たせしました、と聞き慣れた声が、彼女の意識を現実に引き戻す。
 齢十四歳の少女の決意が、世界の未来を変えるなど、ある人物以外は誰も気づいていなかった。

 

 

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