瞳の先にあるもの 第40話

 エリグリッセ兵士自害が発生して半日。アンブロー側はもちろん、ラヴェラ派の兵士にも衝撃が走った。同じ出身国兵には、憤りを感じる者もいるという。
 中には、アマンダが施した策が裏目に出たと批判する者もいた。
 ヘイノは、ラヴェラから聞いた状況と合わせて戦況を確認し、計画通りに進めることが決定されれ全軍に通達される。もちろんアマンダにも伝わり、片足を引きずりながらも、準備をしていた。
 ひとつの判断ミスで大勢の命が失われる。それが上に立つものが背負う宿命である。
 死なせたくなかった、というのはエゴなのかしら。一人でも多くの人を救いたいと思ったのに。
 だが、アマンダは自身の理想が間違っているとは今まで考えたことがなかった。絶対唯一正しいものということではなく、落命してしまっては何も意味が無いのでは、というひとつの考えである。
 この辺りは生まれ育った地域での思想や人生観に影響しているのだろう。死後の世界で幸せが約束されているなら、死をも恐れないのかもしれない。
 現世に肉体という器が用意され生きている人々にとっては、あの世は全くの未知の世界。仮に死者があちらの世界から戻ったり接点を結べたりしたのなら様子も探れるものだが。
 どうにしても、持っている感情、意識はなくなるといわれている。九死に一生を得てあちらの世界を覗け、かつ、記憶にとどめていられない限り、概念から抜けることは厳しいだろう。それこそ、特別な修行を受けて解脱をしたり、真理を追究しなければ。
 もちろん、世界には様々な考えかたが存在しているため、表現や達する域の違いもあろう。共通しているのは、人間とは何か、を追い求めているところかもしれない。
 弱冠十五歳の少女には、難しすぎる問いである。
 「アマンダ。入っても大丈夫かい」
 「あ、はい。どうぞ」
 失礼、と、ヘイノ。なお、リューデリアとサイヤは、ゼンベルトら魔法師のところに出かけていた。
 「茶器を借りる」
 「え、いやそんな、わたくしが」
 「いいからいいから。香りの良いお茶が手に入ってね」
 無理矢理座らせた将軍は、慣れた手つきで準備をする。一方、令嬢は何となく落ち着かない。
 出された紅茶からは、安心感に包まれるような香りがした。
 「まあ、素敵な香りですね」
 「味もさっぱりとしていてね。気に入ってもらえると良いが」
 「とてもおいしいですわ。どの食事にもあいそうです」
 「そうだな。さっぱりした食事にも良いな」
 少々の間が空き、食器のこすれる音が響き渡る。
 「少しは、休めたかい」
 「うーん。色々とかんがえてしまって」
 「そうなのか。何を考えていたのかな」
 報告じゃないからまとまっていなくても問題ないよ、とヘイノ。表情から相当困惑しているように見受けられた。
 貴族はプライドが高いといわれているが、立場がそうさせている場合がある。ちっぽけなホコリから見栄を張っている者もいれば、高い位に相応しい言動だけを求められることもある。良いか悪いかという判断も簡単ではなく、色々なしがらみがあるのは、何も身分に限ってのことではない、とヘイノは思っている。
 「どうして簡単に、命をなげだせるのかと」
 「ふむ」
 アマンダは続ける。死んでしまっては何も残らない、ましてやむげに奪われてしまってはなおのことだ、と。
 残された者の悲しみ、恨み、喪失感。言葉では言い表せられない感情が渦巻き、自分が自分でなくなってしまう。かつての自分がそうだったように。
 少なくとも愛する人を失えば冷静ではいられないのが大多数だろう。おそらく、どんなに冷たい血が通っていようとも、だ。一切誰とも関わらずに生きてきた人間では無い限りは。
 「わからなくなりました。なんのために戦ってるのかが。戦場にいる意味が」
 「成程」
 「ヘイノ様は、どうして、戦って、らっしゃるのですか」
 「そうだね。愛する人々が住むアンブロー王国を守りたいから、が一番だよ。君と同じじゃないかな」
 きょとん、としてしまうアマンダ。ヘイノは数え年で十九歳。彼女とあまり年齢は離れていない。
 「参考になるかは分からないが。望みを叶える為なら、幾千、幾万人の敵の命を狩り取る覚悟は出来ている。どんなに血に染まろうと構いはしない」
 アマンダは黙って聞いていた。
 だが、体は無意識に震えているのを目に入れた将軍は、優しく微笑み、
 「以前にも話したかもしれないが、君は色々と段階をすっ飛ばして戦場に来た。心構えも、覚悟も、戦場経験もないままに。申し訳ないと思っている」
 大の男でも心が壊れてしまって逃げ出すだろう、と続く。立ち上がり、令嬢の手を取りながらひざを突いたヘイノは、
 「本当の事を言うと、君を将にするのを周囲に反対されてね。エスコに怒鳴られたし、陛下やセイラック様は勿論、フィリア様すら良い顔をしなかった」
 「え」
 「穏やかに育ったから、血生臭い世界とは無縁でいて欲しかったのだと思う。もしコスティに進言でもしたものなら、大喧嘩じゃ済まないのは間違いない」
 アマンダは、パチパチ、と瞬きだけする。
 「だが、私は君ならこの世界に愛情を与えられると思っている。君の優しさが、頑なになった心を解きほぐす、と」
 「それは、いったい」
 「ふふ。君は覚えていないかもしれないね」
 再び瞬きをする彼女の頭の上には、巨大なクエスチョンマークが飛び出しそうだ。
 ヘイノは目を瞑ると、とある出来事ことを思い出す。そのときに出会ったのが、何の力も持たない自分に対して微笑んでくれたアマンダだったのである。
 「ああ、済まない。実は三年ぐらい前かな。君に会っているんだ」
 「ええっ」
 「会った、といっても道案内した位だがね。嬉しかった」
 「あ、あの。失礼ですが、どちらで」
 「んー。恥ずかしいから言わない」
 その頃から憧れていたなど、今は身が滅んでも口に出来ないようだ。言わなければ良いのだが、気持ちが乗り出してしまいそうな勢いを抑えているらしい。
 表面上、平静を装いながら咳払いをし、
 「君は平和な日常がどれだけ尊いものかを知っている。家族の温もりも、領地に住まう人々の笑顔の意味も、ね。だから起用した。コスティを遺志を継げるのは、君しかいないんだよ」
 「お兄様、の」
 「ああ。彼は何度も、助けられなかった命の前で涙した。全てを救うのは物理的に無理があるのを分かっていても、ね」
 上に立つのなら、時に感情を切り捨てなければならないときもある。理性と感情は相反するものだが、同時に本人の人間性が醸し出されるものでもあるだろう。
 「気にするな、割り切れ、とは言わない。ただ、前に進んで欲しい。君の理想を実現する為に。決めているのだろう」
 「は、はい」
 「なら大丈夫だ。今はゆっくり休んで、またゆっくりと進むと良い。怖かったらまた立ち止まって、気持ちの整理をすれば良いさ」
 「はい。ありがとうございます。気持ちが楽になりました」
 「それは良かった。普段はエメリーン殿が付いているからね。今回は警備の関係で城に残ってもらったが」
 心配しているそうだよ、とヘイノ。アマンダは、今回のことを手紙にしたためようと思った。
 「うん。少しは元気になってくれたようで良かった。そろそろお暇しよう。無理はしないように、ね」
 「はい。ありがとうございました」
 多少引きつった笑顔でも、ヘイノにはご馳走らしい。彼は微笑み返して、部屋を後にした。
 部屋に戻った将軍は、マントを外し、ひと息つく。誰かが用意してくれたお茶菓子のお供にコーヒーを入れようと茶器をいじった。
 飲み物の良い香りがし、席について一杯運び、菓子を小口でかじった。見た目より甘くない小麦粉の菓子だが、彼がほっとするには十分だったよう。
 気が緩んだためか、背を椅子に預けるヘイノ。ふと、話に出て来た過去が頭をよぎる。
 当時は騎士見習いで、とあるパーティー会場の警備を行っていた。有力貴族が集まり催しを楽しんでいる中、少年は聞こえてくる優雅な音楽とは程遠い心情だった。周りを呪い、不貞腐れていたのである。
 実は、彼の血筋はアンブロー王家の遠戚。その頃は誰も知らず、国王とセイラック将軍の推薦で貴族御用達の騎士養成所に入学した。得体の知れない輩が王と公爵家のコネを持つのを気に入らない者が多く、嫌がらせや陰口など日常茶飯事であったのだ。
 もちろん、秘密にしていたのは理由がある。あえて高貴な身分を隠すことで、相手の人間性を探っていたのである。つまり、将来の部下たちを探すためだったのだ。
 また、自らの出世のためではなく、真に今の状況を憂いて行動する人間を見つけてくるように、と国王から命を受けていたというのもある。
 教師や昇格した卒業生と目下や嫌悪や嫉妬を抱く人間に対しての態度が違いすぎる周囲に、ヘイノは心底嫌気が差していた。こんな連中と組んだところでこの国が良くなるものか、と。
 誰とも一緒にいたくないので、彼は見回りと称し、建物内を歩き回っていた。もちろん任された仕事もやっている。とはいえ、ここは王都の中でも指折りの館で、城に近い場所。余程の物知らずではない限りは物騒なことは起きない。
 監視役の目を盗みながらも集まって話し込む同級生を横目にしていると、通りにひとりの少女が立っていた。フリルの付きの真新しい、金の髪と同じ色をしたドレスを身にまとった少女は、首を右に左へと回している。
 「もし。どうかなさいましたか」
 「きゃっ。ご、ごめんなさい、びっくりしちゃいまして」
 「い、いえ、こちらこそ。もしかして道に迷われましたか」
 「は、はい。ちょっと外の空気をすいにいったのですが、わからなくなってしまって」
 「ご案内致しましょう。どちらに」
 「パーティー会場ですわ。おねがいいたします」
 差し出された手に、不慣れながら乗せた少女の顔は赤い。見なかったことにしたヘイノは、反対側にある目的地へと歩いていく。
 途中で音楽が止むと、ふたりも足を止めた。
 「どうやら終わったようですね」
 「あら。まあいいわ、退屈だったし、って。あ」
 「おや、奇遇ですね。私も同じことを思っていましてね」
 「まあ、おじょうず」
 クスクスと笑う少女。実のところヘイノも本音だったのだが、うっかり発言に合わせてくれたと解釈されたらしい。
 「出口までお送り致しましょう。どちらから入られましたか」
 「ええっと。どこからだったかしら。気がついたら会場内にとめてありましたの」
 どうやらこの少女は結構なお転婆なのかもしれないと思ったヘイノ。どうするか考えていると、凛とした女性の声が響く。
 「こんなところにいたのかい。戻ってこないから心配したんだよ」
 「あっ、フィ、いえ、お姉さま」
 女性の正体は風の魔女だった。王家の遠戚であるヘイノも、当然知っている。
 「騎士見習いかい? 助かったよ。この子ったら社交会場から抜け出しちまってねえ。ったく」
 気持ちはめちゃくちゃ分かるんだけどさ、と笑いながら話すフィリア。どうやら、少女の事情に合わせているようだ。
 「お身内が来られて安心致しました。どちらから入られましたか」
 「薔薇の門からだ。えーっと、ここからだと、どう行くんだったっけか」
 「ご案内致します。こちらです」
 「へえっ、道覚えてるのかい。大したもんだ」
 不思議そうな顔をした少女だったが、いいからいいから、と言い、ヘイノに道案内を任せる魔女。着いた先には公爵家が乗る馬車がおり、既に準備は整っていた。
 少女は馬車に乗る前に、
 「ありがとうございました、騎士さま。おかげでぶじにもどれましたわ」
 「い、いえ。合流できて良かった」
 思わず目を反らしてしまったヘイノ。可愛いくて優しい笑顔を、直視出来なかったのだ。
 「助かった。今日のこと校長に伝えとく」
 と、魔女は言い残し、馬車は出発。ヘイノはその姿を、優しい風が吹く中、見えなくなるまで見つめていた。
 何の力を持っていない私に、礼どころか微笑んでくれるとは。
 当時の少年には、衝撃的な出来事であった。
 それからというもの。数日後、不思議なことにコスティと出会い、エスコとも繋がった。彼らはこの事を知らない。もはや運命のいたずらと言っても過言ではないだろう。
 あの出来事がなければ、ヘイノ・フウリラ将軍はここに存在していないかもしれない。だからこそ、あのときに感じた温もりを世界に振りまいて欲しいと願ったのだろう。
 春を待ちわびる動物たちのような世の中に必要なのは、冷え切った扉を温めて開放する、愛なのかもしれない。

 

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